■『ユリイカ』への感想
ラジオという「声」を媒体としたメディアの特徴でしょうか。テレビよりも、本よりも、『ユリイカ』内でコアメンバーの方々の文章を見つけると、親近感をもって読めました。まず、コアメンバーの方々の文章を読んでから全体を読みました。DVDも欲しいのですが、建築本が2、3冊購入できる値段ですので、躊躇しています。レンタルは、しないんですかね・・・。
『ユリイカ』の本についてですが、内容と比べて値段が安いと思います。建築系の本は2千円超えが当たり前のようになっていますが、コールハース関連図書で千円ちょっとというのは、かなりお得感があります。南洋堂さんで2009年5、6月売上の連続1位になっていることから、コールハースに興味を持っている人は結構多くて、建築系ラジオの影響も少なからずあると思います。しかし、「リスナーから見た建築系ラジオ」の配信によると、「レム・コールハースの現在」の配信は、ダウンロード数が伸びていないということですので、建築系ラジオを知らない人が購入しているのでしょうか。それとも難しすぎて聞いてくれないのでしょうか。
■「レム・コールハースの現在」の配信についての全体的な感想
今までの配信でも難しい内容のものはありましたが、「緊急討議 レム・コールハースの現在」の配信は、本当に難しかったです。僕レベルの人間には、なにが難しいかといいますと、レムさんの建築の空間構成の討論は既にいろいろなところでなされているからという理由で、そして、リスナーが理解していることを前提として、何々主義の衝突を表現しているとか、建築の批評性の分析が語られているところです。レム・コールハースの「レ」から説明があるとリスナーは食いつきやすかったというところはあります。ただ、まあ、建築を勉強しているんだからそのくらいは自力で分析してよ、という考えはあるとは思いますが・・・。誰かに教えてもらおうという気持ちがあると、安藤忠雄さんのような存在には絶対になれないでしょうね(笑)。
■レムさんのヴォイドについての仮説
ヴォイド部分には、実は成果として現実界に表出していないプログラムが組まれた空間が設計過程には存在していて、そのプログラム(物質)に対する鏡像対称性を維持する反物質として残された存在が、「ヴォイド」である、という見方はどうでしょうか?物質と反物質の対生成による現代の建築に対する批評性がヴォイドとして表現されている・・・。3次元CADでいうブーリアン演算の「差」のような手法です。もはや、ジェネリック・シティで差異を生み出すには反物質しかないと・・・。
この説明でいけば、アイコニックな建築に無意味だと思われるヴォイドがあったとしても、物欲を刺激する資本主義に対する批評性を表現しているという説明がつかないでしょうか。だから、現在でもレムさんの建築には批評性がある・・・。あー、でも、皆さんがおっしゃっていることと同じような気がします・・・。僕のアイデンティティが失われている(笑)。僕レベルは、まず、物質(空間)を分析するべきですね。基本、基本。
空間を分析して元になる物質が存在していたという痕跡を提示できたら説得力があってカッコいいとは思うのですが、思いつきですので、失笑してください(笑)。もう、難しすぎてクンセイニシンのニオイしかしません。
■僕の根本的な内容での理解不足のところ
ぶっちゃけ、はずかしいですが、レムさんの建築に表現されているという「批評性」が、そもそもなぜ必要なのか?という疑問(僕の知識、意識不足・・?)があります。
ユリイカのレム特集号で、難波和彦さんと岩本真明さんの『「ヴォイドの戦略」の可能性』内で「ジェネリック・シティ」が分かりやすくまとめられています。
「雑多な差異が競い合うことによって、逆説的に個性を持たない都市が生まれたことを指摘する。(中略)差異を呑み込み、結局は無個性となる20世紀の振興都市をコールハースはジェネリック・シティと呼ぶ。」(P70)
この文章で、「森」を想起しました。森は、多様な樹木や草で構成されていて、個別によく見れば姿カタチだけみても差異があります。専門家はこの木は何々、この草は食べられるなどの情報を持って興味深く森をみることができますが、一般人からみると、森は森です。森に対して興味が薄いと、なおさら森にしか見えません。
建築の話に戻しますと、森が都市にあたるわけですが、元祖ジェネリックな存在である「自然」でさえも差異はよく見ないと失われます。これは、自然なこと(無理していない)ではないでしょうか?資本主義が元となってつくられた都市の結果も自然な事象であると。よって、建築それ自体に批評性が必要かどうかという疑問に結びつくわけです。
建築に批評性があるかどうかは関係なく、抽象的な言葉ですが、単に気持ちが良い建築をつくる。それが、建築を利用する人に伝わって価値感が伝播していくという構図ではうまくいかないものなのでしょうか。
批評性があっても、それを追いかけることに必死になりすぎると、
彦坂さんがおっしゃっていたように感動しない建築と言われてしまうだけのような気がしました。いくら専門家にウケがよくても、説得力が一般の人達(都市の中の根本的な存在)に伝わらないのでは意味がないのではないかと思います。ただ、実際にレム・コールハースさんの建築を体感したことがないので、請け売りのような意見ですが・・・。
もっと色々ラジオで討論されていた資本主義の中に共産主義が貫入している話とか、欲望の垂直・水平性の話に対する感想も書きたいのですが、文章がさらに長く、まとまらなくなりそうですし、僕の実力も怪しいので、建築がもつ批評性に対する感想でとどめておきたいと思います(笑)。
これからも、多様性のある配信を宜しくお願いします。
(思ひ出のコメントー初出:2009.8.16)
・関連項目
緊急討議 レム・コールハースの現在1
『ユリイカ』レム・コールハース特集について
緊急討議 レム・コールハースの現在2
レム・コールハースの空間図式│柄沢祐輔
緊急討議 レム・コールハースの現在3
批評からスクリプトへ│勝矢武之
緊急討議 レム・コールハースの現在4
シチュアシオニストを編集するレム・コールハース 南後由和(前編)
緊急討議 レム・コールハースの現在5
シチュアシオニストを編集するレム・コールハース 南後由和(後編)
緊急討議 レム・コールハースの現在6
Spectacles of Koolhaas and others 坂牛卓(前編)
緊急討議 レム・コールハースの現在7
Spectacles of Koolhaas and others 坂牛卓(後編)