電子的に管理できる移動手段って、觔斗雲がいいです(笑)。閉じたチョキを口の前でヒュヒュヒュヒュッヒュッってやると、空からギュイーンってくるんですよね。邪魔にならないし、月々980円で乗り放題!ただし、快晴の日は使えません(笑)。
乗り換えの部分が重要とおっしゃっていましたので、建築系はここのところに手を出すとおいしいですね。でも、特定の電車のための何々ではなくて、Aの乗り物からBやCの乗り物に乗り換えできる場所ですよね。現在の駅の概念とは、また違った発想かあ。でないと何も変わらないですもんね。
ホント、もったいないなぁ〜って思ってたんです。移動空間。
早朝まで飲んだ帰りに道を歩くと、店を出る前まで人がたくさんいたのに、気が付けば誰もいない・・・。(え〜っと、東京ではありえないっすか?)ただの空き地になってるんです。そのことに気付いた瞬間、道路の真ん中で大の字に寝ても、スキップしても、何しても自由にできるんですよね(笑)。屋外空間の魅力ってそういうところにありますよね。
住宅の廊下も移動空間だと思うのですが、各空間をつなげる装置であると同時に、空間までの前座というか演出があるとウキウキしますよね。屋外の移動空間ですと、目的地までつなげるという機能は充実しているのですが、前座の役割とか、色気って皆無です・・・。目的地の可能性が多すぎて演出しきれないのかもしれませんけど。ちなみに、僕が車で近道をすると、かならず行き止まりになります。「道はつながってるから道というんだ」と言われるのですが・・・。
最近つくられる道路では、歩行者空間が広々と確保されているものが多くなっていますが、古い道路ですと、んな狭いとこ歩けるか!といいたくなるような、か細い歩行者空間があります。しかも、車を尊重しているので、歩行者空間の道路はデコボコしていて歩きづらい・・・。車を尊重しているということは、「さっさと移動してください」と言っているようなものですし、プイっと軽く足首を傾けるだけで前進できる車に、なんで友好的な道路をつくるのかズッと不思議でした。(ちなみに車は持ってます。)ゆっくり走らざるを得ない道路、駐車したくなる道路って戦略的につくれないものでしょうか。
羽藤さんがおっしゃっていましたね。「より遅い交通をどう導入していくか」と。車で移動すると、まったく気が付かなかった建築や店なんかが、自転車で通ると、おやっ?こんなとこにあったっけと発見できたりします。さらに徒歩になると、もっとまわりの景色が目に飛び込んできますね。そうなんです。探さないと見つからないというのではなくて、目に飛び込んでくるんです。地元をにぎわせたいのなら、遅い交通を演出するべきですね。A地点からB地点に行きたかったけど、途中のA'が気になると思わせる交通ですか。松山市内も、車の乗り入れを課金制にして、安心して歩ける街にすれば観光しやすいのですけどね。歩く方が休憩する頻度も高くなるのでより長くとどまってくれると思います。現在は河川敷に公園をつくるパターンなのですが、車が減ったタイミングで既存の道路をゆっくり公園化してはどうでしょうか。遅い移動空間が近隣住民のコミュニティスペースとして機能したり、観光客の休憩スペースになったり、歩き遍路にもなる可能性の方が、目先の利便性より将来性があるような気がします。
松山市の道後のお話もありました。道後温泉前を快適な景色にしていただいたのは羽藤さんだったのですねっ!しかも、ついこの間まで松山におられたなんて。現在の道路に変わる前は、県道六軒屋石手線を車でビュイーンっと上ると、その脇に道後温泉がありました。道を挟んだ向かい側の商店街に渡るには、信号機のない横断歩道を頼るしかありませんでした。風呂上がりで車にひかれる可能性がある温泉だったのです・・・。当時はがっかりしました。あまりにも街の雰囲気が合っていない。突然、道後温泉があるんです。行った当時、道路に演出性があればと思いました。
「制約条件と思っている事をつき崩す」というお話。羽藤さんが強調しておられる「一人の頭にいれて何をやるべきかを考えるべき」という行為が、あらゆる境界を超えて、こうでないといけない部分を超えられるということですね。最後は、人間の脳の処理能力に期待できるということですか。シミュレーションのデータに期待するのではなくて、データで議論のスタート地点を高めておいてから、あらゆる専門家とコミュニケーションをすることで新しい発見ができると。アルゴリズミック・デザインの手法を取り入れる場合でも同じことが言えそうですね。負担が低減できた分、経済的な効率によって生まれた分業で手を抜く事ができた領域に踏み込み、互いが当たり前だと思っていた部分に新しい発想が生まれるかもしれませんね。觔斗雲も幻ではなくなると(笑)。
ラウンドテーブルをどうやって設定していくのかが問題というお話がありました。議論をする場ではなくて、いきなり設計してしまうというのはどうでしょう。議論の場は建築系ラジオの全体討議で済ましておくということで。プログラミングの世界のオープンソースという仕組みを取り入れて、同じ組織に属しない不特定多数の人達が、ある公共建築を設計してみるという試みをすると面白いのではないかなと思います。クライアントを待つのではなくて、街に出て動いていない土地(価値を見いだせない場所、中古物件)を見つけ出し、全国にクラウド化している建築系、ランドスケープ系、土木系、都市系の専門家がネットを介して設計をするというものです。誰がつくった建築かということに視点が向かわないので、新しい価値観・可能性を持った面白い建築ができないでしょうか。もちろんまとめ役が必要ですね。オープンソースのソフトみたいに、ソフトそのものが直接お金を生むのではなくて、その図面をつかった成果物でお金になると。空間のアイデアがオープンになってしまいますが、それにより日本の建築がどんどん高まればいいじゃんという気持ちで。建築系ラジオのスタッフの皆さんでやってみると面白いかも。特定の組織力と対抗しうる手法にならないですかね・・・。ソフトのこの手法は、なぜまとまるんだろう・・。ソフトを分節して、その領域の中を各自が設計しているのでしょうか。
どの業界でも今後求められそうな「専門性を渡り歩く人」。それは、かつての建築家と呼ばれる人が持っていた能力を、再び現代に呼び戻すことが可能な人材かもしれませんね。
・・・誰だろう?
それは、建築系ラジオを聞いている、あなたかもしれないっ!(笑)
・関連項目
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[1/4]
― レクチャー前半:〈移動〉から見た都市
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[2/4]
― レクチャー後半:移動空間の再生
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[3/4]
― 討議前半:モビリティ・クラウドをめぐって
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[4/4]
― 討議後半:モビリティによるこれからの都市
羽藤英二先生が考えるモビリティとは?
乗り換えの部分が重要とおっしゃっていましたので、建築系はここのところに手を出すとおいしいですね。でも、特定の電車のための何々ではなくて、Aの乗り物からBやCの乗り物に乗り換えできる場所ですよね。現在の駅の概念とは、また違った発想かあ。でないと何も変わらないですもんね。
ホント、もったいないなぁ〜って思ってたんです。移動空間。
早朝まで飲んだ帰りに道を歩くと、店を出る前まで人がたくさんいたのに、気が付けば誰もいない・・・。(え〜っと、東京ではありえないっすか?)ただの空き地になってるんです。そのことに気付いた瞬間、道路の真ん中で大の字に寝ても、スキップしても、何しても自由にできるんですよね(笑)。屋外空間の魅力ってそういうところにありますよね。
住宅の廊下も移動空間だと思うのですが、各空間をつなげる装置であると同時に、空間までの前座というか演出があるとウキウキしますよね。屋外の移動空間ですと、目的地までつなげるという機能は充実しているのですが、前座の役割とか、色気って皆無です・・・。目的地の可能性が多すぎて演出しきれないのかもしれませんけど。ちなみに、僕が車で近道をすると、かならず行き止まりになります。「道はつながってるから道というんだ」と言われるのですが・・・。
最近つくられる道路では、歩行者空間が広々と確保されているものが多くなっていますが、古い道路ですと、んな狭いとこ歩けるか!といいたくなるような、か細い歩行者空間があります。しかも、車を尊重しているので、歩行者空間の道路はデコボコしていて歩きづらい・・・。車を尊重しているということは、「さっさと移動してください」と言っているようなものですし、プイっと軽く足首を傾けるだけで前進できる車に、なんで友好的な道路をつくるのかズッと不思議でした。(ちなみに車は持ってます。)ゆっくり走らざるを得ない道路、駐車したくなる道路って戦略的につくれないものでしょうか。
羽藤さんがおっしゃっていましたね。「より遅い交通をどう導入していくか」と。車で移動すると、まったく気が付かなかった建築や店なんかが、自転車で通ると、おやっ?こんなとこにあったっけと発見できたりします。さらに徒歩になると、もっとまわりの景色が目に飛び込んできますね。そうなんです。探さないと見つからないというのではなくて、目に飛び込んでくるんです。地元をにぎわせたいのなら、遅い交通を演出するべきですね。A地点からB地点に行きたかったけど、途中のA'が気になると思わせる交通ですか。松山市内も、車の乗り入れを課金制にして、安心して歩ける街にすれば観光しやすいのですけどね。歩く方が休憩する頻度も高くなるのでより長くとどまってくれると思います。現在は河川敷に公園をつくるパターンなのですが、車が減ったタイミングで既存の道路をゆっくり公園化してはどうでしょうか。遅い移動空間が近隣住民のコミュニティスペースとして機能したり、観光客の休憩スペースになったり、歩き遍路にもなる可能性の方が、目先の利便性より将来性があるような気がします。
松山市の道後のお話もありました。道後温泉前を快適な景色にしていただいたのは羽藤さんだったのですねっ!しかも、ついこの間まで松山におられたなんて。現在の道路に変わる前は、県道六軒屋石手線を車でビュイーンっと上ると、その脇に道後温泉がありました。道を挟んだ向かい側の商店街に渡るには、信号機のない横断歩道を頼るしかありませんでした。風呂上がりで車にひかれる可能性がある温泉だったのです・・・。当時はがっかりしました。あまりにも街の雰囲気が合っていない。突然、道後温泉があるんです。行った当時、道路に演出性があればと思いました。
「制約条件と思っている事をつき崩す」というお話。羽藤さんが強調しておられる「一人の頭にいれて何をやるべきかを考えるべき」という行為が、あらゆる境界を超えて、こうでないといけない部分を超えられるということですね。最後は、人間の脳の処理能力に期待できるということですか。シミュレーションのデータに期待するのではなくて、データで議論のスタート地点を高めておいてから、あらゆる専門家とコミュニケーションをすることで新しい発見ができると。アルゴリズミック・デザインの手法を取り入れる場合でも同じことが言えそうですね。負担が低減できた分、経済的な効率によって生まれた分業で手を抜く事ができた領域に踏み込み、互いが当たり前だと思っていた部分に新しい発想が生まれるかもしれませんね。觔斗雲も幻ではなくなると(笑)。
ラウンドテーブルをどうやって設定していくのかが問題というお話がありました。議論をする場ではなくて、いきなり設計してしまうというのはどうでしょう。議論の場は建築系ラジオの全体討議で済ましておくということで。プログラミングの世界のオープンソースという仕組みを取り入れて、同じ組織に属しない不特定多数の人達が、ある公共建築を設計してみるという試みをすると面白いのではないかなと思います。クライアントを待つのではなくて、街に出て動いていない土地(価値を見いだせない場所、中古物件)を見つけ出し、全国にクラウド化している建築系、ランドスケープ系、土木系、都市系の専門家がネットを介して設計をするというものです。誰がつくった建築かということに視点が向かわないので、新しい価値観・可能性を持った面白い建築ができないでしょうか。もちろんまとめ役が必要ですね。オープンソースのソフトみたいに、ソフトそのものが直接お金を生むのではなくて、その図面をつかった成果物でお金になると。空間のアイデアがオープンになってしまいますが、それにより日本の建築がどんどん高まればいいじゃんという気持ちで。建築系ラジオのスタッフの皆さんでやってみると面白いかも。特定の組織力と対抗しうる手法にならないですかね・・・。ソフトのこの手法は、なぜまとまるんだろう・・。ソフトを分節して、その領域の中を各自が設計しているのでしょうか。
どの業界でも今後求められそうな「専門性を渡り歩く人」。それは、かつての建築家と呼ばれる人が持っていた能力を、再び現代に呼び戻すことが可能な人材かもしれませんね。
・・・誰だろう?
それは、建築系ラジオを聞いている、あなたかもしれないっ!(笑)
・関連項目
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[1/4]
― レクチャー前半:〈移動〉から見た都市
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[2/4]
― レクチャー後半:移動空間の再生
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[3/4]
― 討議前半:モビリティ・クラウドをめぐって
交通から都市と建築を考える(第5回カルチベートトーク)[4/4]
― 討議後半:モビリティによるこれからの都市
羽藤英二先生が考えるモビリティとは?