美術家 糸崎さんの視点には、共感できますし、面白いと思いました。日常の現実を普通の視点ではなく、違った視点で見ることで、「発見!」があり、この「発見」がアートをつくる人間にも、それを鑑賞する人間にも楽しさとして価値感を共有できるものにしていると思います。
街中の昆虫を主体とした写真は、鑑賞する人にとって、自分の身近な場所で体験できるかもしれない、今までと変らない場所が違って見えるかもしれないという期待を持たせます。人間がつくった街中でコントロールできない昆虫が主体として扱われている。面白いですね!都市や街中は、常にある意図のもとに道や建築がつくられていて皆、知らず知らずのうちにコントロールされていますから。人間側の意図とは違う目的で昆虫の世界が営まれている・・・。
対して現代アートでよく表現される想像の世界は、自己完結して、閉じられた世界なので、自閉的と感じるのかもしれません。鑑賞の場と生活の場と、世界が2分されています。この感じは、美術館に展示しているアート作品という環境にも通じます。
発見のあるアートは、「現実」を通して鑑賞している世界の外側と関係を保っているように思います。拡張性があるという感じです。
建築でも同じ事が言えそうで、敷地や周辺環境が隠し持っている特徴の魅力を普段と違う視点で上手く捉えられたら、その発見を他者と共有でき、説得力があって楽しい建築ができるのでしょう。
糸崎さんのコメントで、都市を形づくっている有名でない建築の集まりは、コントロールできないだけに奇妙な造形が形作られてるというものがありましたが、「コントロールしきれない」要素が、なんだか大切な気がします。街並を建築家だけで考えると、どうしてもテーマパークっぽいものになったり、素直に納得できないものになりそうですが、「隙」を与えることで、なにかが成長するのを期待するのも良い方法かもしれません。似た手法としては、住宅で言えば、部屋の用途を曖昧にして、住む人に委ねるというものがありますね。住む人の生活によって部屋が変るというものです。やりすぎるとつくる側としては面白くないですが。
「隙」は、壁や天井、床という既存の概念を壊せるかもしれません。(言い過ぎですか・・)現在の若手建築家が思考している建築は、外と内の境界線をなんとかして今までと違う方法で接続しようという方向性があると思います。しかし、空調などの問題から、どうしても「面」で境界線を捉えようとしています。「面」を、例えば植物などの人間の意思が伝わりきらない「隙」と置き換えたなら、とか、点状のものと置き換えたら、など最近考えます。その辺が、僕が廃墟に関心を持つ理由なのかもしれません。 あー、でも、思いっきり石上純也さんの影響ですね・・・。
全て新しいものでつくるとどうしても意図が入ってきますから、隙が出来にくくなります。別のアプローチとして、村上心さんが言う「再生」が生きてきそうな気がします。既存の建築を壊して、また自閉した新建築を建てるとあまり変わりばえしない気がします。既存の、ある建築とまったく無関係だった別の建築が、なにかの媒体によって関連付けられた新しい空間がつくれるのがリノベーションやコンバーションにある可能性です。自閉的な一個体である建築同士を新たに接続しなおすことで新たな関係性を持った街並がつくれそうです。特に狭小地が多い都市で有効ではないでしょうか。既に存在している要素ですので、完全にコントロールできない発見的な空間ができそうな気がします。実際にどうするかは・・・色々考えるとヨダレが出そうですね。
(余談ですが、村上さんは、山田さんの兄貴というだけあって喋る雰囲気がとても似ているような気がします。)
また、次の配信も楽しみにしています!ありがとうございました。
(思ひ出のコメントー初出:2009.5.13)
・関連項目
28A: 美術系ラジオ第5回「アートフェアにこの作品が並ぶ理由」
村上心インタヴュー
「再生」教育の重要性/ストックの活用
街中の昆虫を主体とした写真は、鑑賞する人にとって、自分の身近な場所で体験できるかもしれない、今までと変らない場所が違って見えるかもしれないという期待を持たせます。人間がつくった街中でコントロールできない昆虫が主体として扱われている。面白いですね!都市や街中は、常にある意図のもとに道や建築がつくられていて皆、知らず知らずのうちにコントロールされていますから。人間側の意図とは違う目的で昆虫の世界が営まれている・・・。
対して現代アートでよく表現される想像の世界は、自己完結して、閉じられた世界なので、自閉的と感じるのかもしれません。鑑賞の場と生活の場と、世界が2分されています。この感じは、美術館に展示しているアート作品という環境にも通じます。
発見のあるアートは、「現実」を通して鑑賞している世界の外側と関係を保っているように思います。拡張性があるという感じです。
建築でも同じ事が言えそうで、敷地や周辺環境が隠し持っている特徴の魅力を普段と違う視点で上手く捉えられたら、その発見を他者と共有でき、説得力があって楽しい建築ができるのでしょう。
糸崎さんのコメントで、都市を形づくっている有名でない建築の集まりは、コントロールできないだけに奇妙な造形が形作られてるというものがありましたが、「コントロールしきれない」要素が、なんだか大切な気がします。街並を建築家だけで考えると、どうしてもテーマパークっぽいものになったり、素直に納得できないものになりそうですが、「隙」を与えることで、なにかが成長するのを期待するのも良い方法かもしれません。似た手法としては、住宅で言えば、部屋の用途を曖昧にして、住む人に委ねるというものがありますね。住む人の生活によって部屋が変るというものです。やりすぎるとつくる側としては面白くないですが。
「隙」は、壁や天井、床という既存の概念を壊せるかもしれません。(言い過ぎですか・・)現在の若手建築家が思考している建築は、外と内の境界線をなんとかして今までと違う方法で接続しようという方向性があると思います。しかし、空調などの問題から、どうしても「面」で境界線を捉えようとしています。「面」を、例えば植物などの人間の意思が伝わりきらない「隙」と置き換えたなら、とか、点状のものと置き換えたら、など最近考えます。その辺が、僕が廃墟に関心を持つ理由なのかもしれません。 あー、でも、思いっきり石上純也さんの影響ですね・・・。
全て新しいものでつくるとどうしても意図が入ってきますから、隙が出来にくくなります。別のアプローチとして、村上心さんが言う「再生」が生きてきそうな気がします。既存の建築を壊して、また自閉した新建築を建てるとあまり変わりばえしない気がします。既存の、ある建築とまったく無関係だった別の建築が、なにかの媒体によって関連付けられた新しい空間がつくれるのがリノベーションやコンバーションにある可能性です。自閉的な一個体である建築同士を新たに接続しなおすことで新たな関係性を持った街並がつくれそうです。特に狭小地が多い都市で有効ではないでしょうか。既に存在している要素ですので、完全にコントロールできない発見的な空間ができそうな気がします。実際にどうするかは・・・色々考えるとヨダレが出そうですね。
(余談ですが、村上さんは、山田さんの兄貴というだけあって喋る雰囲気がとても似ているような気がします。)
また、次の配信も楽しみにしています!ありがとうございました。
(思ひ出のコメントー初出:2009.5.13)
・関連項目
28A: 美術系ラジオ第5回「アートフェアにこの作品が並ぶ理由」
村上心インタヴュー
「再生」教育の重要性/ストックの活用