いつも興味深い話題をありがとうございます。
彦坂さんが建築を抜きにして美術は語れないとおっしゃっていますが、そのお話と関連しそうな講演会が今月19日に愛媛でありました。
講師は東海大学名誉教授の上松佑二氏です。ルドルフ・シュタイナー建築研究家の第一人者で、『新しい建築様式への道』と題して講演されました。上松さんもシュタイナーも知らなかったのですが、ネットで調べると上松さんの著作は高額古書扱いではありませんか!(こういう残りわずか!とか、今は手に入らない!と言われると欲しくなる性分でして・・・消費者の鏡ですね。)高額古書を書ける人物の講演ならばぜひ聞かねばと参加した次第です。
上松さんは、最近(?)は建築をメインにはしていない様子でして、シュタイナーが創始した人智学(アントロポゾフィー)を広めようと、そちらの方に力を入れているようです。ですから、建築に関する講演は年に1度程度と、講演会の企画者から紹介されていました。年に1度なんて言われると、ますます欲が出て来ます。そこで、建築からの視点ではなくて、美術系ラジオの視点でインタビューしていただけるようリクエストします。なぜなら、現代建築への批判的態度が読み取れるので、美術系の知識が豊富な彦坂さんと建築と美術について対談をしていただけたらと思います。
講演の内容を紹介しますと、現代では上松さんが考える「新しい建築」を生み出すのは難しく、理由は、背景になる世界観が無いので多様性を失い、中心が持てなくなって新しい様式が生まれないからとおっしゃっていました。あらゆる分野で行き詰まっていると。現代の美術館についても語られて、建築の入れ物の中に芸術作品を飾るのではなく、総合建築として建築と芸術が融合するべきだと。例として、シュタイナーが設計した「ヨハネス・バウ」、後に「第一ゲーテアヌム」と呼ばれる建築を説明していました。木を積層して、彫刻家達が彫ってつくりあげた建築です。この写真が載っている古書が3冊も会場にありましたが売っていませんでした。ちなみにこの演劇場の最後の仕上げをした彫刻家についての本を2009年の夏に出版予定らしいです。
新しい建築様式の結論として、人間としてふさわしいことは何か?を考えることが新しい建築であると、おっしゃっていて、フォルム(形態)と色彩という本質を追求するべきと訴えていました。フォルムに精神を宿すには、手作りでしか方法がないとも言っていました。また、フォルムが次のフォルムへと形が変化する、植物の変容のように有機的なものである必要があると。有機的なものは、生成と発展があるからのようです。
僕には、有機的なフォルムの連続体によって建築そのものを構成することが、美術と建築が融合した究極の形態かどうかは分かりません。でも、ついつい触りたくなるフォルムというのは、機械にプログラミングされたものがつくりだす素材と空間の境界線では出来ないのではないかとなんとなく思うところはあります。上松さんが、海と空が存在することで自然につくられる境界線を「原形絵画」※の例として挙げていました。関係がつくりだす二次的な境界線でしょうか。確かに、サイズの大きい丸太でできている柱だと触りたくなります。
上松さんとは、建築と美術の関係のあり方について対談していただきたいです。アールヌーボーやアーツ・アンド・クラフツ運動とはどう違うのか、荒川修作さんの建築は美術と融合しているのか、などのお話もどうでしょうか。質疑応答時に、現代で全て手作りの建築は難しいのでは?という質問もしてみましたが、どの作家も悩んでいるという解答にとどまりました。建築が向かう方向性の一つとしてシュタイナーの思想も面白いかと思いました。
※原形絵画:上松さんが独自に表現しているもの。色彩が源となり、
例えば、ライオンを見てライオンを描くのではない絵画。
抽象絵画とも違うらしいです。
また、長くなりました。すみません。
今後もよろしくお願いいたします。
(思ひ出のコメントー初出:2009.4.26)
彦坂さんが建築を抜きにして美術は語れないとおっしゃっていますが、そのお話と関連しそうな講演会が今月19日に愛媛でありました。
講師は東海大学名誉教授の上松佑二氏です。ルドルフ・シュタイナー建築研究家の第一人者で、『新しい建築様式への道』と題して講演されました。上松さんもシュタイナーも知らなかったのですが、ネットで調べると上松さんの著作は高額古書扱いではありませんか!(こういう残りわずか!とか、今は手に入らない!と言われると欲しくなる性分でして・・・消費者の鏡ですね。)高額古書を書ける人物の講演ならばぜひ聞かねばと参加した次第です。
上松さんは、最近(?)は建築をメインにはしていない様子でして、シュタイナーが創始した人智学(アントロポゾフィー)を広めようと、そちらの方に力を入れているようです。ですから、建築に関する講演は年に1度程度と、講演会の企画者から紹介されていました。年に1度なんて言われると、ますます欲が出て来ます。そこで、建築からの視点ではなくて、美術系ラジオの視点でインタビューしていただけるようリクエストします。なぜなら、現代建築への批判的態度が読み取れるので、美術系の知識が豊富な彦坂さんと建築と美術について対談をしていただけたらと思います。
講演の内容を紹介しますと、現代では上松さんが考える「新しい建築」を生み出すのは難しく、理由は、背景になる世界観が無いので多様性を失い、中心が持てなくなって新しい様式が生まれないからとおっしゃっていました。あらゆる分野で行き詰まっていると。現代の美術館についても語られて、建築の入れ物の中に芸術作品を飾るのではなく、総合建築として建築と芸術が融合するべきだと。例として、シュタイナーが設計した「ヨハネス・バウ」、後に「第一ゲーテアヌム」と呼ばれる建築を説明していました。木を積層して、彫刻家達が彫ってつくりあげた建築です。この写真が載っている古書が3冊も会場にありましたが売っていませんでした。ちなみにこの演劇場の最後の仕上げをした彫刻家についての本を2009年の夏に出版予定らしいです。
新しい建築様式の結論として、人間としてふさわしいことは何か?を考えることが新しい建築であると、おっしゃっていて、フォルム(形態)と色彩という本質を追求するべきと訴えていました。フォルムに精神を宿すには、手作りでしか方法がないとも言っていました。また、フォルムが次のフォルムへと形が変化する、植物の変容のように有機的なものである必要があると。有機的なものは、生成と発展があるからのようです。
僕には、有機的なフォルムの連続体によって建築そのものを構成することが、美術と建築が融合した究極の形態かどうかは分かりません。でも、ついつい触りたくなるフォルムというのは、機械にプログラミングされたものがつくりだす素材と空間の境界線では出来ないのではないかとなんとなく思うところはあります。上松さんが、海と空が存在することで自然につくられる境界線を「原形絵画」※の例として挙げていました。関係がつくりだす二次的な境界線でしょうか。確かに、サイズの大きい丸太でできている柱だと触りたくなります。
上松さんとは、建築と美術の関係のあり方について対談していただきたいです。アールヌーボーやアーツ・アンド・クラフツ運動とはどう違うのか、荒川修作さんの建築は美術と融合しているのか、などのお話もどうでしょうか。質疑応答時に、現代で全て手作りの建築は難しいのでは?という質問もしてみましたが、どの作家も悩んでいるという解答にとどまりました。建築が向かう方向性の一つとしてシュタイナーの思想も面白いかと思いました。
※原形絵画:上松さんが独自に表現しているもの。色彩が源となり、
例えば、ライオンを見てライオンを描くのではない絵画。
抽象絵画とも違うらしいです。
また、長くなりました。すみません。
今後もよろしくお願いいたします。
(思ひ出のコメントー初出:2009.4.26)