残念ながら、4回目の配信は聞けなかったのですが、どこからでもダウンロードできるコンテンツが、最終回は特定の場所に行かないと聞けないという仕掛けが面白いです。
個展で問題(?)のコンテンツを流すと、その音声で空間が包まれるので、その場所の雰囲気を変えてしまう恐れもあったと思います。視覚で捉えられる映像が同じでも、映像と音楽の組み合わせによって全体的に受ける印象がまったく違ってくると思うので、個展に漂う雰囲気が気になりました。
さて、松田さんの中庭論。飲みながら収録されたということで、話が脱線気味だったように思いますが、やっぱりくすぐられるお話でした。
中庭ということで、なにかに囲まれた輪郭の内側にある空間ですよね。中庭が存在するには外側の存在が必要ですね。松田さん自身もトーク中に、中庭を復権しようとはしていないとおっしゃっていましたので、中庭という言葉に意識をさせておいて、実はその外側、つまり建築本体であるとか、あるいは中庭を囲む何か(交通網とか田畑とか。『建築家なしの建築』の本にでてくるやつです。)に面白い提案があるのではないかと期待が膨らみました。建築があって相対的に存在できるものが中庭ですもんね。ですから、中庭の可能性を限定したくないということですね。「括弧つきの中庭」とおっしゃっていました。つまり建築の存在が大きいと。
打撃系の格闘技で言えば、ロー(中庭)打って、またロー(中庭)打って、相手にロー(中庭)を意識させておいて、ハイキック!(建築)という展開ですね。でも、ただのハイキックですとベタですしリスクが伴うので崩し技を入れてのハイ!これなら花もあるし確実・・・
おっと、すみません、勝手に興奮してしまいました(笑)。
建築と「中庭」が補完し合う関係を考えると、なんだか面白そうです。
中庭が都市と接続するのではなく、建築が中庭を通して接続するのが大切だと思いますので、ヴォイドとは違う第三の概念に期待します。
都市と言いますと、道路との関係も気になるところです。<中庭ー建築ー道路>という空間の並びが僕の頭には浮かんでくるのですが、「都市組織としての中間領域」という松田さんが言われた言葉から考えると、<建築ー中庭ー道路>という空間の配列がイメージされます。
この平面的な配列のままですと、中庭にはなれないので、空中にしつらえられた中庭ということも可能性として想像できます。僕は、中間領域というものに興味がありまして、単純に言えば縁側のような領域が好きです。建築を勉強する前でもなんとなく縁側は気持ちが良いという感覚を抱いていました。でも、縁側のようなものを日本的なイメージの中庭に拡張するとただのデッキになってしまうんですよね。ですから、それは松田さんの提案される中庭とは大きく違うと思います。
僕が都市の最小単位(住居)からイメージするのは、狭小とか、圧迫感という言葉です。中庭のようなもの=外部という認識であるならば、すべてが閉ざされた内部だけの空間よりも開放感とか空間の広がりを得られると思います。うーん、ただ、松田さんが言う中庭のようなものとは、個人宅で閉ざされた庭ではなくて、外部と接続する庭ですから、開放感が得られるとか、そういう単純な話ではないですよね・・・。
今回の話の流れでは、コミュニティ空間という話で終わらせたくはないとおっしゃっていましたが、最終的には中庭を解放すること(公共空間化)くらいしか僕には思いつけません・・・。
小さな町の商店街の、立ち話している店頭の空間のように、買い物をしてもしなくてもそこに居られるような空間。あるいは道路にまで拡張しているカフェ空間。あーそうかっ!道路をもっと緩和して道路を移動空間だけで終わらせなければ中庭といい感じでつながりそうですねっ!車さえ家の前を通らなければ、安心して歩けるのに・・。
『彦坂尚嘉のエクリチュール』という本を読んでいるのですが、都市と建築の関係を思うと、幻像絵画の項のジョゼッペ・アルチンボルドやルビンの絵画が思い出されます。中庭は建築の一部であり、都市の一部でもあるという2面性を持っているものが、同時存在するという。ある視点の存在とまた別の視点の存在、そして全体への視点(都市+建築+自然)の3つの面白さがあります。かつての「庭」と違う、なにかヴォイドとは違う存在ということは、断面的な操作の可能性が面白そうです!松田さんの今後のご活躍が楽しみです!
途中、南さんの感想や、最後の松田さんの社会と影響力のお話も聞きごたえありますよっ!
・関連項目
都市建築へ(中庭をめぐって)[1/3] ― なぜ中庭なのか?
都市建築へ(中庭をめぐって)[2/3] ― 緩衝領域としての中庭空間
都市建築へ(中庭をめぐって)[3/3] ― 社会というイシューを超えて
個展で問題(?)のコンテンツを流すと、その音声で空間が包まれるので、その場所の雰囲気を変えてしまう恐れもあったと思います。視覚で捉えられる映像が同じでも、映像と音楽の組み合わせによって全体的に受ける印象がまったく違ってくると思うので、個展に漂う雰囲気が気になりました。
さて、松田さんの中庭論。飲みながら収録されたということで、話が脱線気味だったように思いますが、やっぱりくすぐられるお話でした。
中庭ということで、なにかに囲まれた輪郭の内側にある空間ですよね。中庭が存在するには外側の存在が必要ですね。松田さん自身もトーク中に、中庭を復権しようとはしていないとおっしゃっていましたので、中庭という言葉に意識をさせておいて、実はその外側、つまり建築本体であるとか、あるいは中庭を囲む何か(交通網とか田畑とか。『建築家なしの建築』の本にでてくるやつです。)に面白い提案があるのではないかと期待が膨らみました。建築があって相対的に存在できるものが中庭ですもんね。ですから、中庭の可能性を限定したくないということですね。「括弧つきの中庭」とおっしゃっていました。つまり建築の存在が大きいと。
打撃系の格闘技で言えば、ロー(中庭)打って、またロー(中庭)打って、相手にロー(中庭)を意識させておいて、ハイキック!(建築)という展開ですね。でも、ただのハイキックですとベタですしリスクが伴うので崩し技を入れてのハイ!これなら花もあるし確実・・・
おっと、すみません、勝手に興奮してしまいました(笑)。
建築と「中庭」が補完し合う関係を考えると、なんだか面白そうです。
中庭が都市と接続するのではなく、建築が中庭を通して接続するのが大切だと思いますので、ヴォイドとは違う第三の概念に期待します。
都市と言いますと、道路との関係も気になるところです。<中庭ー建築ー道路>という空間の並びが僕の頭には浮かんでくるのですが、「都市組織としての中間領域」という松田さんが言われた言葉から考えると、<建築ー中庭ー道路>という空間の配列がイメージされます。
この平面的な配列のままですと、中庭にはなれないので、空中にしつらえられた中庭ということも可能性として想像できます。僕は、中間領域というものに興味がありまして、単純に言えば縁側のような領域が好きです。建築を勉強する前でもなんとなく縁側は気持ちが良いという感覚を抱いていました。でも、縁側のようなものを日本的なイメージの中庭に拡張するとただのデッキになってしまうんですよね。ですから、それは松田さんの提案される中庭とは大きく違うと思います。
僕が都市の最小単位(住居)からイメージするのは、狭小とか、圧迫感という言葉です。中庭のようなもの=外部という認識であるならば、すべてが閉ざされた内部だけの空間よりも開放感とか空間の広がりを得られると思います。うーん、ただ、松田さんが言う中庭のようなものとは、個人宅で閉ざされた庭ではなくて、外部と接続する庭ですから、開放感が得られるとか、そういう単純な話ではないですよね・・・。
今回の話の流れでは、コミュニティ空間という話で終わらせたくはないとおっしゃっていましたが、最終的には中庭を解放すること(公共空間化)くらいしか僕には思いつけません・・・。
小さな町の商店街の、立ち話している店頭の空間のように、買い物をしてもしなくてもそこに居られるような空間。あるいは道路にまで拡張しているカフェ空間。あーそうかっ!道路をもっと緩和して道路を移動空間だけで終わらせなければ中庭といい感じでつながりそうですねっ!車さえ家の前を通らなければ、安心して歩けるのに・・。
『彦坂尚嘉のエクリチュール』という本を読んでいるのですが、都市と建築の関係を思うと、幻像絵画の項のジョゼッペ・アルチンボルドやルビンの絵画が思い出されます。中庭は建築の一部であり、都市の一部でもあるという2面性を持っているものが、同時存在するという。ある視点の存在とまた別の視点の存在、そして全体への視点(都市+建築+自然)の3つの面白さがあります。かつての「庭」と違う、なにかヴォイドとは違う存在ということは、断面的な操作の可能性が面白そうです!松田さんの今後のご活躍が楽しみです!
途中、南さんの感想や、最後の松田さんの社会と影響力のお話も聞きごたえありますよっ!
・関連項目
都市建築へ(中庭をめぐって)[1/3] ― なぜ中庭なのか?
都市建築へ(中庭をめぐって)[2/3] ― 緩衝領域としての中庭空間
都市建築へ(中庭をめぐって)[3/3] ― 社会というイシューを超えて