15B: 第5回「無限、その3」の感想です。 -[Lab(思ひ出のコメント:2008.12.16)]- - 建築系ラジオ
出演者:武智仁志

「僕の建築系ラジオの聞き方」

 ただ単にラジオとして聞くのではなく、講義に参加したつもりで毎回自分の感想を書いていくことを課すようにすれば、考察力の向上に繋がるかなと思い、感想というかラジオを聞いて考えた事を書いてみました。レポートではないので、根拠など具体的なデータは明示していませんが、クチをポカ〜と開けて毎日を過ごしていた僕が建築系ラジオから刺激を受けていることは間違いありません(笑)
感想を書いていると、藤村龍至さんのライブ編集の神業のすごさが痛い程よく分かりました・・・。


「第5回 無限、その3」の感想

 参加学生の意見として、「無限」には、連続する・繰り返すなどの種類があるという意見がありました。無限を理解しようとする場合に、対象を種別化する行為は分析に役立つと思いますが、「無限」に関しては種別化すると、本質的な「無限」とは違ってくるように思われます。
種別化の行為によって導かれたものは、それ自体に限度があるように思われるからです。無限という表現は、宇宙の「黒」と似ており、存在しているのだけれども存在していないようなものをイメージさせます。

 では、そのようなイメージを人がどう認識しているかを考えると、「視覚」が重要な役割をしているのではないかと思いました。建築を体験する人は普通、五感というものを無意識に使っています。空間を認識する場合、最も簡単で情報を得やすい「視覚」をまず使っうことになります。
もし、「視覚」を抑制された状態、もっと言えば、「視覚」という感覚を生まれた時から知らない状態で建築の空間に立った時に建築という存在を、今我々が認識している空間と同じものとして捉えられるのだろうか?という疑問を持ちました。決して同じである必要はないのですが、建築に対する感動や想いの深さが変ってくるのではないかと思います。

 ヌーベルの言う「目に見えるもの以上のもの」は、視覚を前提としたもので、目で認識するという建築の基準が崩れると現在の建築が成り立たないのではないかと思いました。現代の建築を構成する物質は、無機質なものを使って自然などから身を守る存在ですが、目を閉じると(光の無い場所で)無機質なものとの関係性を読み取るのが難しくなります。
部屋のこの辺には本棚があって、扉があってという読みは、体験に基づく学習の成果であってリアルに自分の身体との関係性を読み取れるわけではありません。対照的に、ペットなどの動物で同じことを試みると、息づかいや、足音、熱などの情報によって位置関係が伝わってきます。
目を閉じた、ある意味無限に広がっている空間に突如としてペットとの関係性を持った別の空間を含有する状態になります。対象が植物でも同様に、葉が擦れる音や、足の裏から伝わる根の盛り上がりなどによって位置関係が導き出されます。
こうして考えていくと、「目に見えるもの以上のもの」とは、松田さんが言う、有限化や限度化、抑制化によって、視覚以外の感覚が研ぎすまされることによって得られるものだという気がします。壁の向こう側が少し見えたり、扉が少し開いたままであったりすると、視覚で捉えてから、皮膚の感覚を研ぎ澄まして「気配」を感じようとします。
視覚に限度を与えることで気配を感じようとする非物質的な世界に入り込む訳です。人間を考えると、身体という有限の物質内に心という無限の非物質が入っているわけですから、建築家の仕事は、この身体に閉じ込められた無限性のある心に影響を与え得る、非常に興味深いものだと考えるようになりました。

 山田さんが嫌う「ポコポコ系」や石上純也さんの植物を内包した建築は、視覚を抑制されても無限世界に入れるスイッチとしての建築に近づいているのかな?と思いましたが、山田さんが言う通り、皆が皆、同じ建築を志すと多様性の無くなった生命と同様に滅びるしかないのでしょう。そこは気をつけないといけませんが。

小難しい事を書いていると、脳が沸いて来ました(笑)。長々と感想を書いてすみません。文章力も鍛える必要があります(泣笑)。

また、思いついたら感想を書かせていただきます。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

2008年12月16日
脳が沸いた学生 武智仁志

・関連項目
15B: 第5回「無限、その3」
(2010年5月26日公開)

連載紹介

建築系ラジオのリスナーによる感想コーナーです。 気になってるけど、まだ聞いていないコンテンツの概要を知りたい場合に参考でどうぞ。感想文のリクエストがあれば、お答えいたします(笑)。
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